白神山地に関するレポート
平成19年12月
東北森林管理局
目 次
1 白神山地の概要
2 白神山地の歴史
(1) 国による管理経営の開始以前
(2) 国による管理経営の開始
(3) 世界遺産登録をめぐる動き
(4) 法令等に基づく保護・保全
3 森林の利用
(1) 林産物の利用
(2) 国有林の事業
4 白神の文化
(1) マタギ
(2) 木地屋
(3) 鉱山開発
(4) 山岳信仰
5 今日の白神山地
(1) 管理体制
(2) 藤里森林センター
(3) 津軽白神森林環境保全ふれあいセンター
(4) レクリエーションの森
執筆者(順不同) 蒔田 明史 秋田県立大学生物資源科学部 教授 (1) 脇野 博 国立秋田工業高等専門学校 教授 (2(1)、3(1)、4) 東北森林管理局計画課 (2(2)〜(4)、3(2)) 東北森林管理局指導普及課 (上記以外) |
白神山地は、青森県南西部と秋田県北西部の県境にまたがる標高約100mから1200mあまりに及ぶ山岳地帯の総称である(図1)。
なお、「白神山地」と呼ぶ範囲については、諸説あるが、本レポートにおいては、林野庁が設定した白神山地森林生態系保護地域※1を「白神山地」、その周辺を広く「白神山地周辺」と呼ぶこととする。
主稜線は、ほぼ県境に沿って東西に走り、東から冷水岳(1,043m)、小岳(1,042m)、雁森岳(986m)、二ツ森(1,086m)、真瀬岳(987m)などが立ち並ぶ。最高峰、向白神岳(1,243m)は、白神岳(1,231m)とともにこの山地の西端に位置する。青森県側には900m内外の多数の山岳がこれらの主稜線に対して支脈をなして林立しており、その間をぬって多数の河川が流れている。
地質は主として中生代白亜紀にできた花崗岩を基盤に、新生代第三紀の堆積岩とそれを貫く貫入岩類から構成されているが、第四紀に激しく隆起した我が国でも有数の隆起地形であることが知られている。そのため、山地を構成する基盤岩は隆起の過程で様々な変形を受けており、また、地質特性と激しい隆起による斜面の不安定化の複合現象として、地滑りや崩壊地形が白神山地及びその周辺の地形形成の大きな要因となっている。その結果、地形は壮年期的な様相を示しており、深い谷が入り組んだ急傾斜地が多い。
人里に近い場所や林道に沿った部分にはスギを主とした造林地やミズナラなどの落葉広葉樹二次林も見られるが、広大な地域がブナ林により占められているのが白神山地及びその周辺の植生の最大の特徴である。特に、向白神岳-白神岳から摩須賀岳、県境の主稜線部を経て秋田県の大臼岳−次郎左右衛門岳に至る地域は、地元民による山菜取りやまたぎによる狩猟などごく限られた利用しかされてこなかったため、原生的な状態を維持した良好な天然林が広がっている。
ブナ林は日本の冷温帯域の極相林であり、暖かさの指数※2(吉良1949)の45から85までの範囲に生育しており、その南限は鹿児島県の高隈山、北限は北海道の黒松内低地帯である。地史的にみてブナ林が日本に広がったのは、ヒプシマーサルと呼ばれる最終氷期以降の温暖期以降であり、温暖・湿潤化と日本海側の積雪量の増加に伴ったものであると言われている(中静2003)。現在世界でブナ属の植物は10種ほど知られているが、そのうちでも日本のブナ林は高木層でのブナの優占度が高いことや種の多様性が高いという特徴を持っている。現在の日本のブナ林は、日本海側と太平洋側とで、その組成や構造が異なっており、遺伝的特性も異なると言われている(戸丸2001)。白神山地のブナ林は、林床にチシマザサや常緑低木を伴うことが多く、典型的な日本海側ブナ林である。
このように、白神山地及びその周辺の植生の中心はブナ林であるが、その様相は場所によって著しく異なっており、高密度のチシマザサ林床を伴った大径木のブナ林、チシマザサの発達が乏しいブナ壮齢林、低木やササなどの林床植生の発達が乏しく中径木のブナが高密度で生育している林分など、多様なタイプのブナ林が見られる。それらは、森林の発達段階の違いだけではなく、地滑りなどの地形的要因とも関連していると考えられており、林相に応じて種組成や樹高分布などの林分構造パラメータや種子生産、実生・稚樹の生残などの更新パラメータが異なっており、現在もモニタリング調査が続けられている(中静ら2003)。さらには、従来は渓畔林の構成要素であり、谷壁斜面にはあまり発達しないと考えられていたサワグルミ林が地滑り地形と結びついて大小さまざまな規模でブナ林と混在しているなど、自然度の高い冷温帯落葉広葉樹林が残存している地域として、白神山地及びその周辺は日本最大規模のものである。白神山地及びその周辺では113科600種あまりの植物が分布していることが確認されており、この中にはアオモリマンテマ、ツガルミセバヤ、オガタチイチゴツナギなどの固有種も知られている。また、こうした豊富な自然植生のもと、多様な動物も生息している。東北地方に分布する中大型ほ乳類のうち、多雪地で生息できないニホンジカ、イノシシを除く14種がみられ、また、クマゲラやイヌワシなどの貴重種を含む84の鳥類が知られているなど動物相も豊富である。かつては広く東北地方を被っていたであろう冷温帯域の極相状態の生態系の姿を残した地域としてその価値は大変高い。
このような多様な自然を有する白神山地及びその周辺は、森林生態系保護地域、自然環境保全地区、国定公園地域等として保護されており、1993年には、多様な生物相を含んだ白神山地のブナ林は、「純度の高さやすぐれた原生状態の保存、動植物相の多様性で世界的に特異な森林であり、氷河期以降の新しいブナ林の東アジアにおける代表的なもの」であり、「様々な群落型、更新のステージを示しつつ存在している生態学的に進行中のプロセスの顕著な見本」として、世界自然遺産として登録された。その登録面積は核心部分10,130ha、緩衝地域6,832ha、合計16,971haにわたっている。
(注釈)
※1 「森林生態系保護地域」は、原生的な天然林を保存することにより、森林生態系からなる自然環境の維持、動植物の保護、遺伝資源の保全、森林施業・管理技術の発展等に資することを目的に林野庁が設定している。
※2 暖かさの指数とは、月平均気温が5℃以上の月について、各月の平均気温から5℃を差し引いた値を1年間足し合わせた数値で、暖かさの指数の値と日本の植生帯の分布とはよく適合していると言われている。
<参考文献>
・吉良竜夫(1949)日本の森林帯
・環境庁・林野庁・文化庁 (1995) 白神山地世界遺産地域管理計画
・牧田肇・斉藤宗勝・八木浩司・斉藤信夫 (1990) 白神山地の地形・植物相・植物群落.「白神山地ブナ帯域における基層文化の生態史的研究」(科学研究費研究成果報告書(代表:掛谷誠)67-98.
・中静透 (2003) 温帯林「生態学事典」(厳佐庸他編)共立出版52
・中静透ら(2003)白神山地における異なった構造をもつブナ林の動態モニタリング.東北森林科学会誌 8:67-74
・斉藤宗勝・牧田肇・斉藤信夫(1987)白神山地自然環境調査報告書植物編.11-61.
・戸丸信弘(2001)遺伝子の来た道:ブナ集団の歴史と遺伝的変異「森の分子生態学、遺伝子が語る森林のすがた」(種生物学会編)文一総合出版.85-109
(1) 国による管理経営の開始以前
白神山地周辺から発掘された遺跡のほとんどは、縄文時代の遺跡である。海の幸に恵まれていたことから、この地域には原始時代から人が住み、この地域の自然に適した生活をしていた。
日本海側の鯵ヶ沢町から岩崎村にかけて、遺跡は海岸段丘上にあるが、西目屋村の遺跡は岩木川に沿った台地上にある。白神山地やその周辺で生活した縄文人は、ブナ、クリ、クルミやハシバミ、そしてトチやナラ類の木の実をはじめ、ヤマイモ、ヤマユリなどの根茎や球根、さらにキノコ類などを食料としていた。また、ブナ林では鳥獣を狩り、河川では遡上するサケ、マスを捕獲し、海辺では、貝類等を採取する生活をしていた。
平安時代に至ると、西目屋村の岩木川左岸台地上にある遺跡からは土師器、須恵器が発掘され、岩崎村の遺跡からは竪穴群が発見された。鎌倉時代に入ると、幕府の支配が津軽にも及ぶようになり、正平15年(1360)頃には、根城南部氏が津軽地方に勢力を伸ばし、白神山地及びその周辺の目谷郷(現西目屋村)をも支配するようになった。
その後は、南部氏の一支族であった大浦氏が、白神山地周辺の種里城(現鯵ヶ沢町種里町)を拠点に着々と地歩を固め、天正18年(1590)為信の代に津軽を統一し大浦を改め津軽氏を名乗った。
津軽為信の津軽統一によって成立した弘前藩が白神山地及びその周辺の北部を支配した。また、秋田藩も現在の白神山地及びその周辺の南部を支配した。
17世紀半ばに弘前藩が作成した国絵図(藩内の地図)には、白神山地が描かれ「しらかみの嶽」と呼ばれていた。弘前藩の森林地帯は5つに区分されていたが、白神山地は上山通の西部と西浜之通にあたり、藩有林であった。一方、秋田藩が作成した国絵図には弘前藩との藩境付近に白神山地が描かれており、藩有林であった。
また、弘前藩の貞享4年(1687)「御領分御絵図目録同合紋」には、白神山は弘前藩内の岩木山や八甲田山と並ぶ高山で、弘前城から約38qであると記されている。
近世期の青森県側白神山地の植生は、現在のブナやサワグルミを主とする夏緑広葉樹林の植生とは異なっていたようである。長谷川成一氏は、弘前藩の国絵図や山林台帳などを詳細に検討され、17世紀前半の白神山地は針葉樹の群生を主としており、その後ヒバやスギなどの伐採が盛んに行われたために、18世紀後半以降は針葉樹林が枯渇し、それが回復することなく近代に至ったと指摘している(長谷川2006年)。つまり、白神山地にはもともと豊かなヒバ林やスギ林があったが、近世後期に至るまでに乱伐された結果、ブナなどの広葉樹を主にする森林に変わったと推測できるのである。したがって、国有林化されたときは、白神山地はすでに落葉広葉樹を主とする森林であった。明治43年(1910)年「青森大林区国有林経営一斑」付図の「青森大林区管内森林分布図」によれば、白神山地の一部の地域にヒバが見られるのみで、他の大部分は広葉樹林であった。
図1 陸奥国津軽郡之絵図の「しらかみの嶽」の箇所 | 図2 18世紀後半弘前藩の森林地帯区分図 |
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<参考文献>
・長谷川成一「国絵図等の資料に見える江戸時代の白神山地」『白神研究』創刊号、弘前大学白神研究会、2004年
・長谷川成一「弘前藩の史料に見える白神山地」『白神研究』第2号、弘前大学白神研究会、2005年
・長谷川成一「近世後期の白神山地−山林統制と天明飢饉を中心に−」(『白神研究』第3号、弘前大学白神研究会、2006年)
(2) 国による管理経営の開始
国有林は、明治2年(1869)の版籍奉還と明治3年(1870)の社寺有林地上地処分によって藩有林と社寺有林が官林となり、さらに、明治9年(1876)から14年(1881)にかけて行われた土地官民有区分によって所有権の確証のない山林などが官林に編入されて成立した。明治32年(1899)の国有林野法の制定とともに境界の測定、無立木地への造林、林道の開設、保安林の買い上げなどを積極的に行うこととし、不要存国有林野の売り払い等を積極的に行う特別経営事業が始められた。
同時に、国有林野施業案編成規程に基づく施業案の編成が進められ、白神山地及びその周辺では青森県側では明治44年度(1911)に、秋田県側では明治39年度(1906)に施業案が策定され計画的な森林施業が実施されるようになった。
それ以降第二次大戦後までの国有林は、国力の発展と資源開発機運の高まりの中で、森林鉄道・林道の開設、集材機の導入等の技術改善を図り生産基盤の拡充を推進するとともに、農村不況時に造林等の事業を拡大し、救農上大きな役割を果たした。一方で、特に大戦が開戦してからは伐採量が激増し資源内容は悪化した。
白神山地及びその周辺においても、戦中戦後の資源内容の変化は同様で、藩政時代から終戦後まで薪炭や鉱業として伐採が続けれられた結果、二次林状のブナ林が広がるところとなった。
ここでは、白神山地及びその周辺を所管していた旧青森営林局の例として目屋地区(旧弘前営林署、現津軽森林管理署)を、旧秋田営林局の例として大開地区(旧二ツ井営林署、現米代西部森林管理署)を取り上げる。
昭和20年代は、両地区とも戦中・戦後の乱伐により疲弊した林分の修復と地元への薪炭材の供給が中心であった。目屋経営区の第6次経営案(昭和27年〜33年度)で、はじめて暗門の滝等の景勝地の取り扱いに言及しており、事業の実行に当たって景勝地の保全に留意することとした。
昭和30年(1955)以降、我が国は高度経済成長期を迎え、木材需要の増大に対応するため、昭和33年(1958)に生産力増強計画が、昭和36年(1961)に木材増産計画が樹立されたことを踏まえ、両地区とも皆伐作業の推進を経営計画に盛り込み、大面積皆伐作業と伐採跡地への針葉樹の人工造林が進められ、ブナ林はもっぱら樹種転換の対象であった。
昭和40年代後半に至り、公害問題や自然保護についての国民の関心が高まる中で、木材生産機能と公益的機能を調和的に発揮させることとした「国有林野における新たな森林施業」が出され、皆伐作業が減少し、これに代わって択伐作業や漸伐作業が増大するとともに、更新作業についても天然力の活用が重視された。
昭和46年(1971)3月には弘前営林署(現津軽森林管理署)管内の白神山地及びその周辺一帯が水源かん養保安林に指定され、公益的機能を重視する森林として保全することとし、翌年の昭和47年(1972)には、津軽十二湖自然休養林(787ha)を設定し、人と森林とのふれあいの場として国有林を提供することとした。
津軽南部地域施業計画区(旧目屋経営区を含む)の第2次地域施業計画(昭和47年度〜56年度)や八郎潟地域施業計画区(大開地区を含む)の第2次地域施業計画(昭和48年度〜57年度)では、択伐作業面積の増加、皆伐面積の縮小等を盛り込んだ。
また、昭和48年(1973)には、青森営林局が「ブナ天然林施業法の解説」を発行し、ブナ天然林の天然更新タイプ(ブナ型、落葉低木型、ササ型)ごとの作業方法等を定めた。秋田営林局でも昭和57年(1982)に「ブナ林の施業について」、昭和63年(1988)に「広葉樹林施業」を発行し、皆伐・択伐別の施業方法を定めるなどブナ林施業の大枠を確立した。
昭和60年代に入り、原生的な森林生態系の保全など自然保護への配慮が一層求められるようになり、文化的・教育的な場として利用に供するため、昭和62年(1987)に白神山地自然観察教育林(1,900ha)と二ッ森自然観察教育林(1,800ha)を設定した。
また、同年(1987)4月、国有林は、当時残されていた原生林のうち、学術の研究等に重要な地域を、青森県側においては、暗門川、赤石川、追良瀬川及び笹内川の各上流地域の9,600haを「白神山地学術参考保護林」に、秋田県側においては、粕毛川上流地域の2,400haを「粕毛川ブナ天然林学術参考保護林」に設定した。さらに、ブナを中心とする森林生物遺伝資源の保全に重要な地域として、同地域を森林生物遺伝資源保存林として同時に設定し、伐採することを禁じて保護を図ることとした。
昭和62年(1987)10月、知床や白神山地など原生的な天然林等に対する保護の要請と林業の経済的要請との間に意見の不一致を生ずる事例が全国に見られるようになった中で、国有林における林業と自然保護との調整という課題に対する森林の保護・管理のあり方を検討するため、林野庁は「林業と自然保護に関する検討会」を発足させ、昭和63年(1988)12月に出された報告書では、@原生的な天然林の保存を目的とする場合には自然に人為を加えずその推移にまかせることも必要であること、A機能を主体に考えた地帯区分をすべきこと、B我が国の主要な森林帯を代表する原生的な天然林からなる森林生態系保護地域等を設け保護林制度を充実することなどが提言され、知床半島や白神山地などがその候補地としてリストアップされた。
この報告を踏まえ、平成元年(1989)4月、優れた景観を有し、多様な動植物が生息する原生的な天然林を比較的多く有する国有林において、国有林野事業の経営との調整を図りつつ、国有林野内における貴重な自然環境としての天然林等の保護を適切に図るため、林野庁において森林生態系保護地域の新設などの保護林の再編・
拡充が行われた。
これを受けて、平成元年(1989)8月、青森営林局と秋田営林局は、自然保護団体代表も加わった白神山地森林生態系保護地域設定委員会をそれぞれ組織し、設定のための審議を開始した。区域設定に当たっては、赤石川流域の一部ブナ林編入等の委員会の意見を受けて、平成2年(1990)3月に両営林局ともに最終設定案を決定し、保存地区10,139ha、保全利用地区6,832ha、総面積16,971haとなる白神山地森林生態系保護地域を設定した。
ア 青森営林局白神山地森林生態系保護地域設定委員会
・ 平成元年(1989)8月28日に設置
・ 3回にわたる委員会と5回の専門委員会が開かれ、平成2年(1990)3月12日の委員会において地域の設定案を了承
・ 設定区域:大川・暗門川流域(弘前営林署管内)、赤石川流域(鰺ヶ沢営林署管内)及び追良瀬川・笹内川流域(深浦営林署管内)の日本海型の典型的なブナ林を主体とする原生的な天然林
・ 設定面積:12,627ha
イ 秋田営林局白神山地森林生態系保護地域設定委員会
・ 平成元年(1989)8月31日に設置
・ 6回にわたる委員会が開かれ、平成2年(1990)3月12日の委員会において地域の設定案を了承
・ 設定区域:粕毛川ブナ天然林学術参考保護林及び二ツ森自然観察教育林とし、この他、地形的に貫入しているブナ施業林の一部及び自然公園の一部を地域に含めた
・ 設定面積:4,344ha
その後、平成3年(1991)7月には、国有林野経営規程が改正され、4機能類型に応じた管理経営等に対応した事業運営が実施されることとなった。具体的には、すべての森林を施業及び管理の類似性、経営管理の効率性の観点から、国土保全林、自然維持林、森林空間利用林、木材生産林の4機能類型に区分し、水源かん養機能については、すべての森林において確保に努めていく機能とされ、白神山地森林生態系保護地域(世界遺産地域)は、青森県側がこれまでの「津軽南部地域施業計画区」から「津軽森林計画区」に、秋田県側がこれまでの「八郎潟地域施業計画区」から「米代川森林計画区」に属すこととなるとともに、すべての地域が自然維持林に区分された。
なお、暗門の滝があることで知られる西目屋村が昭和55年(1980)に策定した第1次総合計画には、「白神山地」は記されていない。しかし、平成3年(1991)の第2次総合計画には何回も記載されており、このように認識されるようになった背景には、昭和50年代後半から始まった青秋林道の建設に端を発する自然保護運動があったところであり、これらの活動が後に白神山地の重要性を全国的に知らしめる原動力になった。
平成10年(1998)10月、国有林野事業の抜本的改革を具現化するための「国有林野事業の改革のための特別措置法」及び「国有林野の管理経営に関する法律」が成立し、国有林野の管理経営の方針が木材生産機能中心から公益的機能重視に転換されたことを受け、従来の4機能類型に代えて3機能類型(水土保全林、森林と人との共生林、資源の循環利用林)に見直され、白神山地森林生態系保護地域は、森林と人との共生林に区分し、保護すべき森林として明確に位置づけた。
(3) 世界遺産登録をめぐる動き
平成4年(1992)7月に、環境庁(現環境省)は、青森・秋田両県県境部に位置する白神山地の一部である、大川・暗門川、赤石川、追良瀬川及び粕毛川の各源流域について、冷温帯の自然植生を代表するブナ天然林が人為による影響をほとんど受けることなく広く維持されている地域であるため、自然環境保全法第22条第1項第2号の「すぐれた天然林が相当部分を占める森林の区域」に該当しており、自然環境保全地域として保全を図る必要があるとして、14,043haを区域面積とする「自然環境保全地域」に指定した。
平成4年(1992)10月、政府は自然遺産の候補地として白神山地森林生態系保護地域を世界遺産委員会に推薦した。
平成5年(1993)6月、世界遺産委員会から、@推薦地域の拡大、A法的地位の格上げ、B管理体制の改善を含む管理計画の策定を勧告されたことを受け、同年9月に日本政府は@推薦地域を拡大すること、A現行制度でも厳格な保護が担保されていることの確認、B関係省庁と両県による連絡会議を設け連携のとれた管理に努めるとともに、管理計画を策定することを内容とする旨回答した。
平成5年(1993)12月には、世界遺産委員会による審査で、白神山地のブナ林は、純度の高さやすぐれた原生状態の保存、動植物相の多様性で世界的に特異な森林であり、氷河期以降の新しいブナ林の東アジアにおける代表的なものである等の理由から本地域の自然環境は、「陸上・淡水域・沿岸・海洋の生態系や生物群集の進化発展において重要な進行中の生態学的生物学的過程を代表する顕著な見本である」と判断され、世界遺産条約に基づく世界遺産一覧表に登録された。
平成7年(1995)12月、世界遺産地域の保全に係る各種制度を所管する関係行政機関(環境省、林野庁、文化庁、青森県、秋田県)が相互に緊密な連携を図ることにより、遺産地域を適正かつ円滑に管理することを目的とし、各種制度の運用及び各種事業の推進等に関する基本的方針を明らかにするため、「白神山地世界遺産地域管理計画」が策定された。
なお、青森県側の岩木川ほか4河川の地元漁業協同組合に対しては漁業法に基づく内水面漁業権が免許されているが、いずれの河川も資源増殖のための種川と位置づけて地元漁協が周年禁漁区域に指定している。
<参考文献>
・保護林の再編・拡充について(平成元年4月林野庁長官通達)
・白神山地周辺地域における環境共生型地域整備計画調査報告書(平成8年林野庁)
・青森営林局白神山地森林生態系保護地域設定について(平成2年青森営林局プレスリリース)
・秋田営林局白神山地森林生態系保護地域設定について(平成2年秋田営林局プレスリリース)
・白神山地自然環境保全地域指定書及び保全計画書(平成4年環境庁)
・白神山地世界遺産地域管理計画(環境庁、林野庁、文化庁から抜粋)
(4) 法令等に基づく保護・保全
@ 自然公園(国定公園、県立自然公園)
自然公園は、優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もって国民の保健、休養及び教化に資することを目的としている。公園の種類は、自然公園法第5条の規定に基づき大臣が指定する「国立公園」及び「国定公園」、さらに、同法第59条の規定に基づき知事が指定する「都道府県立自然公園」の3種類である。
白神山地及びその周辺においては、「津軽国定公園」、「赤石渓流暗門の滝県立自然公園」及び「秋田白神県立自然公園」が指定されている。
津軽国定公園の「特別地域」については、工作物の新築や木竹の伐採等の行為は自然公園法第17条第3項に県知事の許可が必要と規定されている。また、「特別保護地区」については、工作物の新築や木竹の伐採等に加え、動植物の採捕、落葉落枝の採取やたき火なども同法第18条第3項に県知事の許可が必要と規定され、それぞれの地種区分に応じて規制されている。
また、青森、秋田両県立自然公園においても「特別地域」に指定され、青森県立自然公園条例第10条第3項及び秋田県立自然公園条例第15条第1項の規定により、国定公園「特別地域」と同様の規制が行われている。
また、当該区域面積は、森林生態系保護地域に全て含まれるものである。
なお、白神山地においては、普通共用林野が設定されていたが、森林生態系保護地域の設定に伴い、保存地区については平成5年度以降共用林契約を更新しないこととなった。
A 自然環境保全地域
「自然環境保全地域」は、すぐれた天然林など一定の要件を満たす区域のうち、その区域における自然環境を保全することが特に必要なものについて、自然環境保全法第22条の規定に基づき大臣が指定する地域である。
白神山地の自然環境保全地域には、同法第25条の規定に基づき、特に保全を図るべき区域である「特別地区」が9,844ha指定されており、工作物の新設、土地の形質の変更、土石の採取、木竹の伐採などの行為は、大臣の許可が必要とされている。さらに、これと同一の地域が同法第26条の規定に基づき「野生動植物保護地区」に指定されており、保護対象となっている108種類の植物の採取、損傷が禁止されている。これらの区域は、全て遺産地域の核心地域に含まれている。
特別地区以外の地域は「普通地区」であり、一定規模をこえる工作物の新築、土地の形質の変更等の行為について大臣への届出が必要とされている。普通地区は、すべて世界遺産地域の緩衝地域に含まれている。
B 森林生態系保護地域
「森林生態系保護地域」は、我が国の森林帯を代表する原生的な天然林が相当程度まとまって存在する地域を保存することによって、森林生態系からなる自然環境の維持、動植物の保護、遺伝資源の保存、森林施業・管理技術の発展、学術研究等に資することを目的として、国有林野管理経営規程に基づき、森林管理局長が設定及び管理する地域である。
白神山地の核心部のブナ林を中心とした地域は、最も原生的状況を呈する林分であり、森林生態系の厳正な維持を図る地区である「保存地区」として、学術研究や非常災害時の応急措置のための行為を除き、原則として、人手を加えずに自然の推移に委ねることとしている。保存地区に隣接する森林は、外部の環境変化の影響が保存地区に直接及ばないよう緩衝の役割を果たす地区である「保全利用地区」として、木材生産を目的とする森林整備は行わず、自然条件等に応じて、森林の教育的利用、大規模な開発行為を伴わない森林レクリエーションの場として活用を行うものとしている。
白神山地森林生態系保護地域は、全域がそのまま世界遺産地域として登録されており、森林生態系保護地域の「保存地区」が世界遺産地域の「核心地域」と、「保全利用地区」が「緩衝地域」と一致している。
C 天然記念物
天然記念物等は動植物、地質鉱物で我が国にとって学術上価値の高いもののうち重要なものを保護するため、文化財保護法第69条の規定に基づき大臣が指定するもので、天然記念物と、特に重要な「特別天然記念物」の2種類がある。
白神山地に生息・生育する動植物のうち、ニホンカモシカが特別天然記念物に、また、クマゲラ、イヌワシ、ヤマネの3種類が天然記念物に指定されており、これらの採集等が禁止されている。
(1) 林産物の利用
@ 木材
近世期からヒバやスギが伐採された。初夏から秋にかけて伐木・造材された木材は、そのまま山中に積み置かれ、積雪を待って橇で運材した。橇は雪船(ゆきふね)と呼ばれた。橇で伐木場所から河川のある場所まで運ばれた木材は、春の融雪を待って水流を利用して下流へ流送された。木材は河川の上流域では管流され、河川では堤などの運材装置が用いられた。河川の水量が少なく木材が流れにくい場合は、木材で堰を作って貯水し、その貯水した水を一気に放流することで材木を流した。この堰が堤で、この方法を堤流しと呼んだ。なお、小材は積雪前に背負出しする場合もあった。こうした伐採や運材を行う者は杣子(そまこ)と呼ばれた。
A 薪炭材
近世期から白神山地及びその周辺に住む人々の生業として、薪炭生産が盛んに行われたきた。18世紀末に白神山地及びその周辺を訪れた菅江真澄は、「菅江真澄遊覧記」にこの地で見られた薪炭生産のようすを記している。秋田側の山地では、炭焼きが主な生業であり、ブナやミズナラなどの炭焼き用の木を伐採した跡には、小柴を焼き払って焼畑を行い、粟稗を作っていた。青森側の山地では、薪用のブナ林を伐採して暗門川などを利用して弘前城下まで流送していた。河川流送の際には、木材と同じように堤流しが行われていた。幕末期津軽の日本画家の平尾魯仙の作品である『暗門山水観』(青森県立郷土館蔵)には、薪材の運材のようすが描かれている。
図3 薪材の流送(管流し) | 図4 薪材の流送(堤流し) |
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なお、西目屋村では薪用のブナの伐採が、昭和35年(1960)の目屋ダム完成の後まで行われており、堤流しなど近世期から続く作業が行われていた。
また、青森側の山地でも炭焼きが行われてきた。西目屋村では目屋ダムができるまでは、村のほとんどの者が炭焼きに従事していた。炭焼きのために男は幾晩でも山の炭焼き小屋に寝泊まりし、女が焼いた炭を徒歩で運びおろした。木炭の需要最盛期には、同村で生産された「目屋炭」は有名で、津軽地方の需要を満たしていたが、今ではほとんど生産されていない。
B 家具
明治43年(1910)『青森大林区国有林経営一斑』によれば、ブナ材の用途は木鋤、鍬柄、下駄の歯、盆・椀・飯櫃・盃・菓子盆などの漆器の木地、柄杓、杓子、箆、糸繰器械、椅子、曲木材、鉄道枕木、薪材、染料であり、家具としては椅子が見られるのみである。木材としてのブナは品質がよくなく、「あばれ木」とも言われるように、乾燥しても使っているうちにヒビが入ったり、ネジレが出てくるため、家具には適さなかった。リンゴの生産が盛んになってからは、リンゴを入れる木箱として大量に利用されるようになったが、その他の使い道は限られていた。しかし、昭和50年代になって、ブナの乾燥技術が向上すると少しずつフローリング材、合板材などの用途が広まり、現在は楽器や家具や家電品などにも使われている。
<参考文献>
・長谷川成一「国絵図等の資料に見える江戸時代の白神山地」『白神研究』創刊号、弘前大学白神研究会、2004年
・工藤光治、牧田肇「『暗門山水観』の木流し」『白神研究』第2号、弘前大学白神研究会、2005年
・山下祐介「白神山麓の山村生活の変容−津軽ダム水没移転集落 砂子瀬・川原平の記憶−」『白神研究』第2号、弘前大学白神研究会、2005年
(2) 国有林の利用
白神山地及びその周辺では、藩政時代から豊富な森林資源が利用されており、例えば、米代川流域には鉱山が多く、精錬に用いる薪、木炭は、周辺の広葉樹から調達されるなど、奥深い山中でも経済活動が営まれていた。
@ 直営製炭事業
敗戦後の燃料不足を補うため、昭和20〜30年代にかけて国有林での直営製炭事業が各所で行われた。二ッ井営林署(現米代西部森林管理署)においては、昭和20年代に製炭が行われていた。
藤里町22林班(現1022林班)等での直営製炭事業では、15世帯が入山して製炭事業に従事し、中小径木を主体に伐採していた。
A 林内放牧
山村の畜産業振興のため、昭和30年代から日本短角牛の放牧地として国有林が利用された。二ッ井営林署管内においては、昭和42年(1967)から52年(1977)まで林内放牧が行われていた。
藤里町22、23林班(現1022、1023林班)での放牧は、最も規模の大きかった時には、放牧面積約340ha、頭数約130頭であった。
牛の放牧は、下草を餌とすることによりブナ稚樹の成長阻害因子となる林内下層植生の現存量が低下するとともに、牛の歩行により地表がかき起こされ、ブナの種子が確実に定着し、発芽を容易にする効果があったと考えられる。
<参考文献>
・「白神山地森林施業総合調査報告書(1986林野庁)」p211
(1) マタギ
東北地方の山間部に住み、昔ながらの狩猟を行う猟師をマタギという。ブナ帯では、動物の餌となるブナ、クリ、トチ、ナラ類の堅果や下生えなどの食用となる植物が豊富である。そして、川を遡上するサケ科の魚も多く、ブナの森は豊饒の森であり、餌の種類と豊富さから多くの動物が生息するのに適した環境であった。それゆえ、それらの動物を狩猟する人間にとっても生活を支える好条件が備わっていたことから、狩猟を生業とするマタギがブナ帯には多く住んでいた。
マタギは、シカリと呼ばれる頭領を中心にした十数人を一団として猟を行った。クマの他に、ウサギやカモシカも獲物として獲られた。マタギは猟で山にはいると、山小屋で幾日も寝起きして獲物を追った。また、マタギ言葉や独特の戒律など、マタギ独特のしきたりが存在し、山小屋には山の神を祀り朝に夕に祭をした。一方、里にあるマタギの家族達も出猟中は慎みの生活を送って、夫や父の加護を山の神に祈った。
マタギは遠い昔に神々や権力者によって、諸国を自由に行き来して狩りすることが許されたと伝えられ、その許可のしるしとして、自らの出自を記した巻物を持っていることがある。その内容によれば、マタギにはいくつかの流れ(日光派、西山猟師派、高野派)があった。白神山地の西目屋村のマタギは日光派であることが確認され、秋田県の阿仁マタギにつながると推測されている。
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(2) 木地屋
ブナ帯では、豊富な木材資源を活用した木器づくりが発達した。なかでもブナは木器の木地として盛んに利用され、明治43年(1910)『青森大林区国有林経営一斑』は、ブナ材の用途と一つとして、盆・椀・飯櫃・盃・菓子盆などの漆器の木地を挙げている。これらの木地をつくる木地屋は、木を加工して木器をつくる専業的な工人で、曲物師、くりもの師、ろくろ師などと称した。
(3) 鉱山開発
白神山地周辺では古くから鉱業も盛んであった。そのなかでも、弘前藩の尾太鉱山(西目屋村砂子瀬)が最大で、銀・銅・鉛の非鉄金属を大量に産出した。尾太鉱山の創業は、慶安3年(1650)に尾太寒沢で銀の採掘が開始されたことから、この頃と考えられるが、本格的な銀採掘の操業が始まるのは延宝年間(1673〜1681)である。しかし、銀産出の最盛期は延宝年間で、その後は銅鉛生産が中心になった。弘前藩は財政負担を軽減するために、鉱山の経営を直営から山師の請山(請け負い)に転換したが、享保19年(1734)には銅鉛の大鉱脈が発見され、尾太鉱山は最盛期を迎えた。最盛期の鉱山の総人数は2300〜2400人ほどで、そのうち採掘を行う鉱夫は800人に達した。その後、銅鉛の産出減少や坑道の出水などのために19世紀に入ると鉱山は縮小し、明治の廃藩とともに一時操業中止となった。その後の長い休止を経て、昭和27年(1952)に操業を再開したが、昭和53年(1978)に閉山した。
一方、秋田側には秋田藩の太良鉱山(藤里町)があった。鉛を産出する太良鉱山は文永年間(1264〜1274)に開発され、近世後期から大正期にかけて最盛期を迎えた。第2次大戦後も古河鉱業太良鉱山として操業したが、水害により昭和33年(1958)に閉山した。
太良鉱山は近世期は秋田藩の重要な鉛鉱山であった。慶長19年(1614)には、播磨(現兵庫県)の山師が太良鉱山の鉛採掘を請負っている。秋田藩を代表する阿仁銅山の銅から絞銀(精錬して銀を採取すること)する際に必要な鉛は、太良鉱山の産鉛であり、秋田藩の銀産を支える鉱山であった。また、19世紀初頭に太良鉱山を訪れた菅江真澄は「菅江真澄遊覧記」に当時の太良鉱山のようすを記しており、太良鉱山からの鉛運搬による賃稼ぎが山地住民の貴重な収入源であったことがわかる。
図4 太良鉱山の集落(図絵のほぼ中央) |
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(4) 山岳信仰
マタギが単なる鉄砲撃ちと異なるのは、山の神を信仰していることにあった。彼らは、すべての獲物は山の神の授かりものとし、定まった作法で解体作業を行い、その霊をなぐさめる意味もあって、毛皮から内臓にいたるまで捨てることなくすべてを利用してきた。また、山で猟をしているマタギは山の神に仕える身なので、俗世間から離れて聖の世界で生活する。そのために、日常的なものを断ち切って精神清浄を保ち、穢れを避けた。なお、マタギ達の間では山の神は女性で豊饒多産な神であると信じられていた。
一方、白神岳(標高1253m)の山頂下には白神大権現をまつる祠がある。白神岳ふもとの旧岩崎村(現深浦町)大間越の人たちは昔から毎年旧8月1日に、お山参詣のため白神岳に登っており、白神岳は信仰の対象になってきた。
<参考文献>
・『青森県の歴史』山川出版社、2000年
・山下祐介「白神山麓の山村生活の変容−津軽ダム水没移転集落 砂子瀬・川原平の記憶−」『白神研究』第2号、弘前大学白神研究会、2005年
・佐々木潤之介「伝統的鉱業技術の体様」 国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告、 1979年
・長谷川成一「国絵図等の資料に見える江戸時代の白神山地」『白神研究』創刊号、弘前大学白神研究会、2004年
・「マタギの巻物」青森県立郷土館解説シート
・『ブナ帯文化』思索社、1985年
(1) 管理体制
平成5年(1993)に白神山地が世界遺産に登録されたことを受け、白神山地世界遺産地域管理計画が策定され、同計画において管理体制等が以下に規定されている。
@ 白神山地世界遺産地域連絡会議
連絡会議は、当地域の保全管理に係る各種制度を所管する環境庁(現環境省)、林野庁、文化庁、青森県及び秋田県が密接な連携の下に一体となった管理を行うことを目的として開催されている。
当地域の管理を効果的に実施するためには、地元の理解と協力の増進が不可欠であることから、連絡会議の開催にあたっては、地元の市町村及び関係団体等との連携を図ることとしている。
白神山地世界遺産地域連絡会議会則(抄) (名称) 第1条 この会議は、白神山地世界遺産地域連絡会議(以下「会議」という)と称する。 (目的) 第2条 会議は、世界遺産一覧表に登録された白神山地の適正な保全管理の推進を図るため、関係機関相互の連絡調整を行うことを目的とする。 (組織) 第3条 会議は次に掲げる機関を以て組織する。 東北地方環境事務所、東北森林管理局、東北森林管理局青森事務所、青森県、青森県教育委員会、秋田県、秋田県教育委員会 (会議事項) 第4条 会議は第2条の目的を達成するため、次の事項を協議・調整する。 (1) 関係機関の保全管理施策の実施に係る必要な協力の推進等所要の事項。 (2) 管理計画に関する事項。 (3) その他、保護管理の円滑な実施の推進に係る内容で会議において必要と認められた事項。 |
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A 巡視活動
林野庁と環境庁(現環境省)は連携を図りつつ、森林管理署等職員等による巡視を適宜実施するとともに、民間のボランティアに委託している。
東北森林管理局では、「グリーン・サポート・スタッフ」(入込者が集中し植生の荒廃等が懸念される地域において巡視等を行う非常勤職員)制度を活用して青森側5名、秋田県側4名の増員を行い、巡視体制の強化を図るとともに、青森県25名、秋田県側34名のボランティア巡視員を委嘱し、巡視活動を実施している。
また、青森県は白神山地世界遺産地域巡視員7名を、秋田県は自然保護指導員、公園管理員を17名委嘱して巡視活動を実施している。
効果的な巡視を実施するためには、関係機関の連携の強化が重要であることから、青森県側、秋田県側でそれぞれ、巡視を開始する春期と巡視活動を終了後の冬期の年2回、白神山地世界遺産地域巡視員、連絡会議関係機関、関係市町村等の出席により、巡視員会議を開催している。
B 情報発信・提供
情報提供、環境教育活動は同計画4(5)に規定されており、世界遺産地域に関する自然や文化、利用施設等について情報提供体制を整備することなどが定められている。
東北森林管理局では、世界遺産「白神山地」として注目度が高いことを念頭に、正確で質の高い情報を掲載するホームページを開設している。
白神山地情報プラットホームの構成
(ア) 世界自然遺産白神山地
(イ) 白神探検隊
(ウ) みどころ
(エ) 周辺ガイド
C 白神山地世界遺産地域森林生態系モニタリング調査
学術研究上必要な調査や長期にわたるモニタリングを実施し、基礎的なデータの収集に努めている。
東北森林管理局では、白神山地世界遺産地域内において森林生態系モニタリング計画を作成している。この地域の保護・保全管理に資することを目的として、青森県側にあっては平成7年度から、また秋田県側にあっては平成8年度からモニタリングを実施している。
これまで実施したモニタリング調査は、別表1のとおりである。
今後は、青森県側は核心地域のブナ林の長期変動調査と指定ルートでの入り込み利用による植生への影響調査、秋田県側は森林生態系保護地域の原生的ブナ林の長期変動調査を継続して実施する予定である。
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(2) 藤里森林センター
藤里森林センターは、秋白神山地及びその周辺での森林の保全・管理の強化や森林レクリエーション利用等への増大に的確に対応するため、林野庁により平成7年(1995)3月に設置された。
藤里森林センターでは、白神山地森林生態系保護地域(世界遺産地域)の保全管理とともに、周辺地域の国有林をフィールドに、森林教室や体験学習、森林とのふれあいを推進するためのイベントの開催などを通じ、森林環境教育等を積極的に推進している。
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@ 森林環境教育
未来を担う小学生・中学生・高校生に対し、森林・林業や白神山地の保全等に関心を持ってもらうよう、白神山地の特色を生かした森林教室や体験林業などを実施している。
岳岱自然観察教育林や二ツ森自然観察教育林、太良峡風景林など、レクリエーションの森をフィールドとし、ブナの自然林や天然秋田スギ等を教材に、直接森林とふれあい、五感をフルに使い、森林や動植物の不思議などを学習できるカリキュラムを提供している。
また、地元自治体や市民団体、教育関係機関など、各種団体からの要請により、森林インストラクター等の職員を派遣し、森林講座や学習会を実施するとともに、公募による一般の者を対象に、白神山地周辺での森林浴や自然観察会、登山ガイド等の森林とのふれあいを深めるための事業にも取り組んでいる。
このほか、大学やJICA等を通じ、海外からの研修生やインターンシップの受け入れなども行っており、白神山地周辺での学習・研修機関としての役割も担っている。
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A 情報発信
広報誌の作成に加え、ホームページでは白神山地及びその周辺の国有林の情報や森林ふれあい情報、巡視情報など生きた情報を発信している。
あわせて、センター独自の「森林環境情報システム」を駆使し、岳岱自然観察教育林のブナ林の静止画像と気温、湿度、風速等の気象情報をインターネットで配信している。
当センターの建物に隣接した「研修棟」では、白神山地の動植物、それぞれの名勝の四季の景観の写真、木工品や材鑑標本等を展示し、一般公開している。
岳岱自然観察教育林では、「多目的展示施設」とバリアフリーのウッドチップ歩道を整備し、写真やパネル展示による白神山地の紹介を行うとともに、入り込み者の増加による林地の荒廃を防ぎ、誰もが気楽に観察できるよう、施設整備等を進めている。
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B 世界遺産「白神山地」の保全管理
白神山地の貴重な自然や生態系を良好な状態で維持・保全するため、関係行政機関や地域のボランティア団体等との連携し、巡視活動(森林パトロール)や登山道・歩道の整備など、保全管理の強化に取り組んでいる。
職員による巡視とあわせ、グリーン・サポート・スタッフ(非常勤の森林保護員)による巡視も行っており、白神山地及びその周辺の動植物の生息・生育状況の把握や、林道・登山道等の状況把握とともに、入山に際してのマナー指導など、白神山地の保護意識の普及啓発に取り組んでいる。
また、職員による巡視活動を補完するため、民間のボランティアの方々を「巡視員」として委嘱し、相互連携の下、情報体制を強化し効果的な巡視活動に努めている。
登山道や歩道整備については、緊急性や優先度を勘案しつつ、地域のNPOやボランティア団体等と連携・協力した取組を進めている。
二ツ森は、アクセスの良さから毎年多くの入り込み者があり、ボランティアとの協働による歩道整備や合同パトロールによる点検等により、入山者の安全確保に努めている。
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C ボランティア団体等との連携
巨樹・巨木の保存協議会やボランティア団体等による保全活動など、白神山地周辺での多様な主体の自主的な森林づくり活動等を支援している。
白神山地のシンボル的な存在である岳岱自然観察教育林内の「400年ブナ」(通称)については、樹勢回復のため、地域の関係者と協力しつつ、シダの植栽や入り込み防止のための保護柵の設置等の保護対策に取り組んでいる。
また、白神山地は、長い間人の手が加わっておらず、未解明な部分が多いことから、東北森林管理局や様々な研究機関が長期にわたりモニタリング調査等を実施している。当センターでは、これらの関係機関と連携を図り、調査の際には協力を行っている。
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(3) 津軽白神森林環境保全ふれあいセンター
津軽白神森林環境保全ふれあいセンターは、NPO等が行う自然再生、生物多様性の保全などの取組や学校等が行う森林の多面的機能の発揮に関する教育・学習に対する支援等を行うため、平成18年(2006)4月に設置された。
同センターは、青森県側の白神山地及びその周辺(十二湖、岩木山、屏風山等も含む)の国有林をフィールドとし、知識・技術などが異なる様々な団体が取り組む自然再生活動の調整を行うとともに、小学校から大学までの教育機関に働きかけて、森林環境教育のイベント等に取り組んでいる。
@ 自然再生活動への支援等
白神山地周辺は、かつての経済活動等により林冠・林内に空間的な隙間が生じている箇所や人工林が造成されている箇所が存在しており、本来の植生に回復することが重要な課題の1つとなっている。当センターでは、ボランティア団体等からの申し出に対し、要望や技術に応じた適切な活動場所を紹介し、自然再生活動を支援している。
また、自然再生活動の実施に当たっては、各団体の知識・技術などのレベルがまちまちであることから、センター職員が作業手順の説明や安全指導を行い、円滑で安全な活動を支援している。
教育関係の団体に対するプログラムには、森林教室の内容も取り入れており好評を博している。
最近では、大手企業から小さなサークル団体まで多数の団体から自然再生活動の実施等に関する相談が寄せられており、地域全体を見渡し、調和のとれた活動となるよう調整することが求められている。
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A 森林環境教育の取り組み
これまで、中学校全校生徒を対象に丸一日の出前授業、小学生による植樹や除間伐の体験林業、学年単位及び小グループの課外学習等を実施してきている。
同センターは、より多くの生徒たちに参加してもらえるようリーフレットを教育委員会や小中学校に配布し、PRに努めている。
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B 白神山地周辺における施策の充実
最近の環境問題への関心の高まり等を背景に自然再生活動に参加したいという団体が増加しており、それに伴って、この地域全体の視点で調和のとれた活動となるよう調整していくことが必要となってきている。また、森林環境教育の実施に当たっては、この地域の特性を活かして、森林の多面的機能の発揮について説明等を行うことが受講者の理解を深める上で重要である。
このため、平成19年(2007)9月に学識経験者、有識者、NPO等ボランティア団体の代表等の委員13名により構成された「白神山地周辺の森林(もり)森林と人との共生活動に関する協議会」を設置し、白神山地周辺地域での自然再生活動等のあり方等について議論し提言をいただくこととしている。
C 情報発信
当センターでは、ホームページ(http://www.tugarushirakami-kokuyurin.jp)からの斬新な情報の発信に努めており、これまでのアクセス件数は約7,000件となっている。
また、当センター職員が撮影した写真の展示会を常時実施し、白神山地に対する理解の向上に努めている。企業等からの写真提供の問い合わせもあることから、今後はさらに内容の充実に取り組んでいくこととしている。
(4) レクリエ−ションの森
白神山地及びその周辺において、国民の保健・文化・教育的利用に広く提供し、豊かな自然環境を積極的に活用するため、レクリエーションの森を設定している。ここでは、白神山地のレクリエーションの森を紹介する。
@ 白神山地・暗門の滝自然観察教育林(昭和58年設定)
ア 特徴
・ 西目屋渓谷の上流3箇所にある「暗門の滝」の、水量が多く勇壮を極める景観美
・ ブナ、ミズナラ、サワグルミを主体とする広葉樹天然林の景観
・ 豊富な生息動物及び野鳥観察
・ 暗門川渓谷の新緑と紅葉、変化に富む急流と渓岸の地形の自然美
イ 施設整備
西目屋村が、園地、歩道、バンガロー、トイレ、休憩舎、炊事舎を整備している。
ウ 利用状況等
「暗門の滝」の壮観さと暗門川上流に沿って通る遊歩道からの渓流美、周囲のブナ林が形成する森林の美しさなどの魅力から、ハイキング、自然観察等に利用され、平成18年度の入山者は5万3千人となっている。
今後の入込者数は、道幅がせまいなど道路事情に若干の困難性はあるものの、俗化していない自然環境、自然景観の魅力により、増加することが予想される。
A 小岳自然観察教育林(昭和51年2月設定)
ア 特徴
・ 保存地区の東側に位置し、原生的な日本海型のブナ林によって広く覆われている。
・ 小岳登山道を利用してブナ林のほか、ミズバショウなどが生えている小さな湿原、ミネザクラ、ミヤマナラなどの低木林ハイマツ群落などの植生の変化を観察しながら小岳山頂までの登山が可能である。
・ 小岳山頂付近には、コケモモ、ガンコウラン、ヒメイチゲ、ハクサンシャクナゲなどが見られる。
・ 小岳山頂からは、西に粕毛川上流、二つ森、白神岳などの森林生態系保護地域が一望され、南には森吉山、東には藤里駒ヶ岳、北には岩木山などの雄大な眺望が楽しめる。
イ 施設整備
・ 小岳登山道 2,366m
ウ 利用状況等
・ 平成18年度の入山者は320人となっている。
・ 白神山地の広大なブナ林の観察、周辺一帯の山々の眺望などが楽しめるため、今後、その知名度が高まるにつれ、年々入込者の増加が見込まれる。
B 二ツ森自然観察教育林(昭和51年2月設定)
ア 特徴
・ 日本海の冬期季節風を直接受け、原生的な日本海型のブナ林が広く覆っている。
・ 二ツ森山頂山頂周辺には、ダケカンバ林、ミヤマナラ、アカミノイヌツゲ、ミネザクラ、ムラサキヤシオツツジなどの低木林、チシマザサ草原が発達し、高山帯の様相を呈している。
・ 二ツ森頂上からは、世界最大といわれるブナ林が一望でき、青森県側の白神岳、岩木山、秋田県側の駒ヶ岳(藤駒岳)、小岳などの山々、それに加えて日本海と男鹿半島も遠望できる。
イ 施設整備
・ 二ツ森登山道 1,200m
ウ 利用状況等
・ 平成18年度の入山者は4千人となっている
・ 近年、白神山地のブナ林への関心が高まっていることから、今後、入山者の大幅な増加が見込まれる。
(参考1)白神山地及びその周辺のレクリエーションの森一覧
名 称 | 面積(ha) | 市町村名 | 森林管理署等 | |
自然観察教育林 | 白神山地暗門の滝 | 1,360 | 西目屋村 | 津軽 |
白神山地二ツ森 | 114 | 鰺ヶ沢町 | ||
岳岱 | 12 | 藤里町 | 米代西部 | |
二ツ森 | 334 | |||
小岳 | 281 | |||
自然休養林 | 津軽十二湖 | 787 | 深浦町 | 津軽 |
風景林 | くろくまの滝 | 99 | 鯵ヶ沢町 | 津軽 |
峨瓏 | 17 | 藤里町 | 米代西部 | |
太良峡 | 51 | |||
素波里ダム | 24 | |||
独鈷森 | 20 | |||
潟の沢 | 23 | 能代市 | ||
三の又沢 | 27 | 八峰町 | ||
眞瀬渓流 | 119 | |||
眞瀬岳 | 30 |
(参考2)
「レクリエーションの森」とは 多様化し、増大する森林レクリエーション需要を背景に、国土の保全、自然の保護、林業経営等との調和のもとに国有林野を積極的に、計画的、かつ、適正に、国民の保健 ・文化的利用に供することを目的として昭和48年に創設された制度で、次の6種類に区分される。 @ 自然休養(風景が優れ、登山、キャンプ、スキー等に適した地域) A 自然観察教育林(変化に富み、小中学生の自然科学教育に適した地域) B 風景林(名所等一体となって優れた景観を作り出している地域) C 森林スポーツ林(クロスカントリー等森林を主体とする野外スポーツの場) D 野外スポーツ地域(スキー場やホテル等の施設が一体となって整備されている地域) E 風致探勝林(休養施設等が設置され、湖沼等と一体となって優れた自然美を成している地域) |